新谷酒造に
ついて
新谷酒造の歴史とこだわり
新谷酒造の歴史
新谷酒造の酒造りは、地元酒蔵の蔵人として働いていた初代、新谷熊吉が独立し造りを止めていた蔵を買い取り、始まりました。
昭和2年に創業し、二代目新谷末彦が引き継ぐと「和可娘(わかむすめ)」の名で長く地元でご愛顧頂きました。そして平成になり跡継ぎのなかった蔵を、孫である新谷義直が三代目として引き継ぎました。しかし、これまで長きにわたり新谷酒造の酒造りを支えてくださっていた杜氏が高齢のため引退し、廃業の危機に立たされます。平成19年ひとりでも造り続ける決意をし、一年中仕込みが可能な四季醸造蔵へと改装しました。しかし造りに関しては素人同然で、苦難の船出でした。それでも毎月毎月、酒造りと向き合うことで自身の酒造りのスタイルを確立していきました。そして社長と杜氏を両方担う蔵元杜氏として、あっという間に10年が経ったのですが、四季醸造蔵へと改修した蔵の梁が損傷。移設を余儀なくされまたしても廃業の危機にさらされましたが、私たちは歩みを止めることなく、ここで造り続ける道を選びました。
こだわりの酒造り
平成30年12月、新蔵完成。新たなスタートです。
この仕込み蔵の移設を機に、これまで社長と杜氏を兼任していた夫から、杜氏のバトンが妻へと受け渡されました。
当時(平成30年10月)山口県では唯一の女性杜氏が誕生しました。
昭和2年に創業してから今日まで、時代の変遷とともに様々なことがありましたが、手作業というクラシカルな酒造りを守り続けています。
その工程は秒単位で時間管理する洗米・浸漬や0.1℃単位で調整する温度管理など、一つひとつが緻密で繊細な作業の積み重ねです。
手間暇はかかりますが、雑味の少ない日本酒本来の清らかで美しい味わいを目指し、少量を丁寧に、我が子のように手をかけて育てるのが、私たちの酒造りのスタイルです。
わかむすめの生まれる場所
徳地の風土について
私たちの蔵は、人口約6000人のとても小さな町にあります。
春には美しい新緑の山々、夏は無数のホタルが飛び交い、秋には辺り一面燃えるようなヒガンバナ、冬は満天の星空。自然豊かな山や川に囲まれたのどかな田舎町ですが、江戸時代後期頃は市場が連なる賑やかな町だったと言われています。そのため、蔵の建つこの場所は現在でも「市いち」と呼ばれています。
ここでは200年以上にわたり、日本酒が造り続けられて来ました。一級河川「佐波川」の恩恵を受け、古くから稲作も盛んで小さな町の中に5軒以上もの酒蔵がありました。しかしながら時代の変遷と共に新谷酒造が残された最後の1軒となりました。
そして新谷酒造も、何度も廃業の危機にさらされながら、今では夫婦ふたりだけで営む小さな小さな酒蔵となりました。
私たちの使命は、どんなに小さくとも、この伝統の灯を消さないこと。
都会的で洗練された華やかさはなくとも、悠々とした大地のぬくもりと、そこで生きる人々の骨太な強さを持って、ここでしか醸せない日本酒を造り続けています。
杜氏プロフィール
田んぼに囲まれた田舎でのびのび育つ。小学生時代、男子からは「ブンコ」と呼ばれ、担任に名付けられたあだ名は「ブンちゃん」。
酒豪の父の晩酌に付き添い、酒の肴をつまみ食いするのが日課だった。
短期大学卒業後一般企業の営業部へアシスタントとして就職。入社二年目で会社設立以来、初の女性総合職第一号に抜擢。認知症患者の安全対策として開発されたソフトウェアを病院や施設へ売り込みに歩く中、医療の現場で働きたくなり看護学校へ入学。4年間の学生生活を経て、看護師免許取得。病院勤務が始まる。
ところが現在の夫と出会い、元々酒好きだったことが幸いし結婚して酒蔵へ嫁ぐ。この年全国新酒鑑評会で悲願の金賞を初授賞し、義母に「福を呼び込む嫁」と称され歓喜。さらにその日本酒を飲み、あまりの美味しさに心が震えた。
結婚翌年に長女を授かった喜びもつかの間、突然杜氏が病のため蔵を去り、それを機に蔵人、事務員も次々と去り、老朽化が進んだ蔵と、夫婦ふたりだけが残された。廃業を迫られる中、夫はたったひとりでの酒造りを決意し、平成19年に蔵の一部を一年中酒の仕込みができる四季醸造蔵へと改装するが、生活は行き詰まる。
再び看護師として働く傍ら、子供を背負って蔵へ通い、看護師と酒造り二足のわらじ生活が約8年続いた。そして平成28年にひとりの若者が蔵の扉をたたき転機が訪れる。「何もいらないのでここで酒造りの修行をさせて欲しい。イタリアで日本酒を造りたい。」この言葉に、夫婦共々衝撃を受ける。これを機に自らも看護師を辞めて酒造りに専従することを決意。(この若者は後に農口尚彦研究所でも酒造りを学び、現在イタリアでの酒造りのため帰郷して準備中。)
しかし、酒造りに専従するや否や、今度は冷蔵仕込み蔵の梁が損傷、倒壊寸前になる。またしても訪れた廃業の危機に、現実を受け止めきれず茫然と立ち尽くし、時間だけがただただ流れた。本当にこれまでか、どこにも活路はないのか。自問自答を繰り返し、行き着いたのはもう一度ここで酒造りの全てを見直し、国際コンクールへチャレンジしてみよう。それでだめだったら諦めよう。そんな想いだった。結果、全身全霊で醸した酒は仏の日本酒コンクール【Kura Master】純米酒部門 ゴールド賞。ブリュッセル国際コンクール【SAKE selection】純米酒部門 最高位プラチナ賞。
諦めるにはまだまだ早い。やりたかったこと全部やってから。夫とふたり、仕込み蔵の移設を決意。平成30年、新しいスタートを切ると同時に、杜氏のバトンを夫より受け継ぐ。4代目杜氏として、ずっしりと重いバトンを握り締め、夢に向かって邁進中です。
酒造りへの想い
酒豪の父親のもとで育ち、小さい頃からお酒が食卓にある風景が日常でした。子供心に、お酒は人の心を癒したり、人と人との仲を深めたり、魔法のようなものだという思いがしていました。
「日本酒」は生活必需品ではありませんが、太古の昔から、人と人とを繋げ、「食」をより豊かなものにし、国と国をも繋いで来た、なくてはならない重要なものだと思っています。そんな「日本酒」を造れることに誇りを持ち、感謝を忘れてはならないとも思います。
私たちの蔵は何度も廃業の危機にさらされましたが、その度多くの皆様のご温情を賜り、今もここで酒を造り続けることができています。いつかこの小さな灯が、地域を照らす灯となりますように。楽しかった今日を共に喜び、辛かった今日は明日への糧となるように、誰かの、あなたの、私の心を灯す酒となりますように。そんな想いを紡ぎ、日夜酒造りと向き合っています。
わかむすめが出来るまで
1.洗米
洗米の目的は、精米した米の表面に残っている雑味の原因となる糖をしっかり落とすことです。さらに洗米した米を、麹づくりや酒母づくりなど、その後に用いる工程に適した、理想の水分含有量にするため浸漬します。この洗米・浸漬はその後の作業工程での出来栄えに大きく影響するため、大変重要であり、厳密に行います。
白米の水分含有量や白米の状態、その日の気温など、様々なものを勘案して目標の吸水率を算出し、浸漬時間を調整しています。管理を厳密にするため、洗う米は10㎏ずつ小分けにし、秒単位での時間調整を行います。これを限定吸水と言います。
2.蒸し
洗米・浸漬した米を一晩さらし、甑(こしき)と言われる蒸し器で蒸します。蒸す直前の吸水歩合を測定し、蒸気の圧力や時間を調整し、50分~60分蒸します。
良い蒸しとは外硬内軟と言い、外側は硬く、内側が軟らかくなるよう蒸し上げます。
3.麹づくり
麹づくりは日本酒造りの最も重要な作業とも言われています。良い麹ができなければ、良い酒は生まれません。目指す酒質となるような酵素量をつくれる麹菌を生育します。
蒸し上がった米を麹室へ引き込んで薄く広げ、種麹をつける目標の水分と温度になるまで調整します。このタイミングが非常に重要で、その時々の米の状態を明確に判断して調整して行きます。
種麹を振った後は米をよく混ぜて、水分が飛ばないようまとめて布などで包み、一晩保温します。途中、酸素を入れる目的とダマにならないよう切り替えしの作業を行い、二日目の早朝、「盛り」という作業を行います。温度管理しやすいよう箱に10㎏ずつ盛り分けます。その後、状態を観察しながら「仲仕事」「仕舞い仕事」とそのタイミングを見計らって手を入れていき、少しずつ水分を飛ばし、米の中心に向かって菌糸が食い込むよう管理していきます。
湿度と温度の調整がとても重要で、二日目の夜は夜通し温度チェックを行い、必要があれば手を入れたりしながら三日目の昼頃ようやく麹が出来上がります。出来上がった麹は薄く広げ、「枯らし」という作業を行い、余計な水分を飛ばし、雑菌汚染を防ぎます。
4.酒母づくり・本仕込み
酒母づくりの目的は、純粋で健全な酵母を大量に増やすことです。この酒母づくりも大変重要な工程となります。出来上がった麹と、水、蒸した米、酵母を入れ、とても小さなタンクで仕込みます。野生酵母を使用する方法など、酒母づくりにもいくつかの方法がありますが、私たちは「中温速醸」という方法をとっています。
酒母づくりが終わるといよいよ本仕込みです。本仕込みは1回で行うのではなく、添え仕込み、仲仕込み、留め仕込み、と3回に分けて(3段仕込みと言われます)少しずつ仕込み量を増やしていきます。添え仕込みの後は酵母をよく増やすために「踊り」という1日休ませる日を取ります。米のでん粉が麹の力で糖化され、その糖が酵母の力で発酵してアルコールとなります。
毎日成分分析を行い、糖化と発酵のバランスを見ながら温度管理していきます。こうして約30日かけて発酵を見守っていきます。
5.上槽
味のバランスをみながら搾るタイミングを見計らい、いよいよ酒になる時がやって来ます。ドロドロとした醪を搾ることで、透き通った日本酒が完成します。残った固形物が酒粕です。
この搾り方にもいろいろな方法がありますが、私たちの蔵では昔ながらの伝統的な「槽搾り」と言われる搾り方で行っています。醪を袋に入れて、槽(ふね)と呼ばれるものにひとつずつ丁寧に手作業で積み上げていきます。その数は100袋以上にもなり、非常に手間がかかりますが、ゆっくりと弱い圧力で搾るため、日本酒本来の風味を損ねることなく、雑味の少ない清らかな日本酒に仕上げることが出来ます。
6.火入れ
搾られた酒は数日以内に瓶詰めを行い、生酒はそのまま出荷されます。通常は「火入れ」と言って、加熱処理を行います。まだ残っている酵母が発酵を続けようとし、味わいが変化します。火入れをすることで酵母のはたらきを止め、品質や味わいを一定に保ちます。
この火入れの方法にもいろいろありますが、私たちは「瓶燗火入れ」と言う方法で行っています。搾り立ての酒を瓶詰し、打栓した瓶ごと火入れを行います。これもまた手間暇のかかる作業ではありますが、搾り立ての香味を封じ込め、火入れによるダメージを最小限に止めるため、フレッシュな味わいをお楽しみいただけます。